小野熊治宅からのルートははっきりしないが、大野原林道の終点先に見つけた「薩軍敗走路」の木札辺りから山手谷に入ったと思われる。
今回はそこから忠実に薩軍敗走路をたどることは避け、山手谷の上流から鹿川越への最短路を見つけよう。
経路は林道枝線の途中に左に下る枝線が伸びており、その先が前回の林道曲折部に達していると思われた。
そこを経由すれば山手谷までは近いだろうと思われる。
05年12月17日(土) 晴れ時々小雪・寒風
6:17AM出発。FM上戸次で弁当などを買い入れ、黒内から上祝子−下赤林道を通って、8:47AM美人の湯下駐車場に到着。
<上祝子−鹿川越ルートマップ>
準備の後、9:46AM登山出発。9:56AM支線へ左折して上り、下降枝線の入り口をパスして終点に向かう。
「山頂へ」の標識はここだったかどうかを確かめるためだ。
終点で探したが見つからなかったので、それはもう1つ先の崖を登った落水林道の谷に出合う前のところだったかと思った。
戻って10:20AM枝線途中から左手下降枝線を下る。途中から右へ降りる途中、侵食されて通れなかったので、突出部へ向かって降りる。右に向かって前回よじ登った地点を確かめる。
突出部を通り、小谷を少し上がって、左岸の山腹を通って、次の谷へ降りる。右岸沿いに遡上して、林道様広場を探す。
間違って手前の地形の似たようなところに出る。
もう少し上ると目的の広場に着いた。
すぐ右手に踏み跡があると思っていたが、すぐ先で藪になっていた。
もう少し上って獣道らしきところを見つけたので、そこを右に上がって、左に曲がり少し上がると、平谷があった。
そこから右に登ると、急登わずかで平尾根を越えて道は左へ下り、崖状のところに出た。山手谷に出合ったようだ。立木を頼りに谷に下りる。
しばらく右岸沿いに上り、左岸へ渡渉、また右岸に戻る。
緩やかな杉林の中の道をたどると、「薩軍敗走路」の表示板が下がっていた。またその先に「山頂へ」の標識。その途中落水林道の跡を横切ったようだ。
そこから左手に登っていくと、次第に傾斜は増し、両岸が切り立ってくる。
左右に分かれたところに出たが、左は先が見えないので、右手に取り付く。
倒木をかわし、立木や石を頼りによじると、鞍部状の尾根に出た。1:27PM。左手に道はあるが、向こう側へ下る道はない。
ここは鹿川越ではないと思われた。ポケナビで見ると目標は北方200mあたりを指しているので、そちらへ向かう。
少し下がって、電池交換をした。その時スパッツを紛失していることに気づいた。
さらに下ると、前方下に白っぽく開けた川原のようなところが左に上がっている。そちらを目指して右手に、最後は左手に下って谷に下りる。
川原を左に登ると、道はその先で下っていた。
ここが鹿川越のようで、「山頂へ」の標識と「薩軍敗走路」の板もあった。2:05PM。ここで昼食とする。
遂に鹿川越に到達したのだった。
2:26PM下り出発。右岸の杉林の平道でスパッツを発見。左右そろってきれいにたたんだまま落ちていた。
道は右手山腹に上がりやがて尾根沿いに進み、尾根を横切ると、三角点・境界見出点・白テープがあった。3:22PM。
そこから先を見るとすぐ谷だった。広谷の上流である。
直降して左に向かい、崩れを越えて谷に下りた。3:39PM。
合流点の伐採木の上側を通って、次の谷から突出部に上がり、侵食部を渡って、前回よじ登った地点の上を通って、右手に枝線を目指す。
3:56PM林道に出たと思った。すぐ右手に右に上がる分岐枝線があったから。
先に進むと道が上がっているし、様子が違うのでおかしいと思う。
ここが枝線と気づき、先の分岐は先程下った枝線の枝線だと分かった。
だいぶ下って本道に出た。4:07PM。下って登山口着4:17PM。
手袋を片付け、ストックを左におき、折たたみ椅子を出して靴を履き替えた。椅子を片付けるとき手間取り、ストックを積むのを忘れたらしい。
小休の後4:33PM帰路につく。下赤−上祝子林道・黒内を経てN326を北上し、FM三重原で、食料を買い、その先の左手の案内板のある駐車場で夕食をして、新道を通ってN10に入る。
次第に混んできたので、羽屋三叉路を左折、明磧橋手前を右折して賀来経由で帰還。8:24、200.3km。荷物を運び上げるためにまとめているとき、ストックがないことに気づいた。
ようやく鹿川越に辿り着いた。「山頂へ」の標識から左手に上ったのが間違いで、鹿川越の南に登ってしまったらしい。あくまでも最も低いところを上がることを間違えてはならない。
次は大野原林道終点から2番目の谷を上り、薩軍敗走路を忠実に辿って鹿川越に到達したい。
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